こんにちは、シマリスです。 今日は、「小学6年生の終わり〜中学1年生にかけての毎月の10時間唱題」の体験談を書きたいと思います。
大人でも大変な10時間唱題をなぜ子どもだった私がやることになったのか、そして「時計ばかり見ていた」という不真面目な唱題でどんな功徳があったのか(そしてやめたらどうなったのか)、当時の記憶を掘り起こして書いていきます。
きっかけは「勉強しないで受かるかも?」という期待
私が初めて10時間唱題をやることになったのは、小学校6年生の終わり頃でした。
当時、母の強い勧めもあって、私は創価中学を受験することになっていました。
私自身も、学校見学会(説明会)に行って実際の学校の様子を見たときに、
「すごく活気があって楽しそうな学校だな」
と思ったんです。
家からはちょっと遠くて通うのはきつそうだけど、楽しそうだし、母もものすごく勧めているし、「受験してみようかな」と私も行きたい気持ちになって受験を決めました。
しかし、ここで問題がひとつ。
私は、勉強があまり好きではなかったのです。
学校の授業くらいの勉強ならそこまで嫌いではなかったのですが、受験勉強となると小学校で習う内容よりだいぶ難しい。学校から帰った後はできれば休みたいし、遊びたい。そんな中で家庭教師の先生をつけてもらっていたのですが、疲れているのに難しい勉強をしなきゃいけないというのは、そこそこの苦痛でした。
「創価中学には行きたい。でも、勉強は極力したくない……」
そんな時、母から「10時間唱題をやろう」と誘われました。
もともと私はあまり素直じゃない方の子どもだったので、今思うとよく素直に「やる」と言ったなと不思議なのですが(これも母の祈りがあったからかもしれません)、当時は単純な子どもだったので、こんな風に考えました。
- 題目をあげれば何でも叶うって言うんだから、勉強しなくても奇跡的に受かるかも
- 『10時間唱題』って響きからしてなんかすごそう、それをやればとんでもない良いことがあるんじゃないか?
仏法的に考えれば「勉強しないで受かるかも」なんていうのは大間違いなのですが、道理も何もよくわからない単純な子どもだった私は、「なんかすごい良いことあるかも」と単純に思い、母と、そしておばあちゃんと3人で10時間唱題を始めることになりました。
結果どうなったかというと、
創価中学は、普通に落ちました。
私立中学を受験するために必要な勉強量に全く届いていませんでしたから当たり前です。
当時の私としては「学校で毎日授業を聞いて、宿題もやって、家庭教師の先生が来た時も勉強してるんだから、めちゃくちゃ頑張ってる」と思っていましたが、要は言われたことをそのときやるだけで、自ら進んでやる「自己学習」をほとんどしていなかったのです。
受験には落ちたのですが、母が「このまま毎月続けよう」と言うので、「大変だな、めんどくさいな」と思いつつも、なんとなく習慣として中学1年生の間も毎月続けることになりました。
永遠に感じた「2時間×5セット」のタイムスケジュール
この10時間唱題、実際にやってみると思ってたよりきつかったです。
当時の我が家のタイムスケジュールは、2時間を1セットとして、それを1日で5セットやるというものでした。
(※休憩のタイミングなどは少し前後していたかもしれませんが、だいたいこんな感じで5セットやっていました)
当時の私にとっての「2時間」は、永遠のように感じる長さでした。
一応自分でやると決めて始めたことなので、最初のうちは「創価中学に合格したい」とか、日々のちょっとした悩みを意識的にも無意識的にも祈っていた時間はちゃんとあったと思います。
ただ、それが何時間も長続きするわけがなく……。
今私の記憶に一番強く残っているのは、「ご本尊様を見ている時間より、時計を見ている時間の方が長かったんじゃないか」ということです。
「早く終わらないかな」「まだ何分しか経ってないな」「あと何分かな……」
一念に億劫の辛労を尽くして真剣に祈る、みたいな真剣さははっきり言ってなく、だんだん飽きてきて雑念ばかりになり、時計ばかり見ていた記憶しか残っていません。
しかし、こんな祈り方だったにもかかわらず、中学1年生の1年間で、私は大きな功徳を3つもいただくことになりました。
10時間唱題の3つの大きな功徳
① 不思議な縁で出会った「一生の親友」
創価中学に落ちた私は、地元の公立中学校へ進学しました。
1学年100人くらい(3クラス)のうち、同じ小学校から来たのは20〜30人ほど。残りの7〜8割は他の学区から来た知らない子たちです。不安と期待を抱えながら入学しました。
1年生のクラスで、出席番号が私のすぐ前だった子(仮にAちゃんとします)が、隣の小学校から来た全く知らない子でした。
出席番号が前後だと、整列する時もいつも隣になるし、最初の席も前後になります。それで、初日からなんとなく話をするようになって、あっという間に仲良くなりました。
そしてAちゃんが小学校時代にすごく仲が良かった親友が、別のクラスにいるBちゃんでした。
そのBちゃんは、私とも小学校の頃から創価学会の「少年部」を通じた顔見知りの友達だったのです。
「えっ、AちゃんとBちゃんって仲良かったの!?」ということで、自然と私・Aちゃん・Bちゃんの3人で仲良くなりました。
この3人が、もう本当に趣味が合うというか、気が合うメンバーでした。
当時私は漫画を読むのが大好きで、ちょうど『週刊少年ジャンプ』が黄金期(600万部とか売り上げていた時代で、ドラゴンボールで悟空がナメック星に行ってスーパーサイヤ人になるかならないか、みたいな一番盛り上がっていた時期です)だったのですが、3人とも漫画が大好き!
毎日休み時間にしゃべり、帰り道も毎日3人で一緒に帰りながらずっとしゃべり、放課後もよく遊んでいました。とにかく毎日大爆笑して過ごしていました。
小学校の頃もそれなりに楽しかったけれど、やっぱり「学校は行かなきゃいけないものだし、ちょっとめんどくさいな、普通かな」という印象でした。でも、この中学1年の時は「毎日学校に行くのが楽しみでしょうがない!楽しくてたまらない!」という状態で、こんなことは後にも先にもこの1年だけです。
しかも、このAちゃんとBちゃんとは、中学を卒業して何十年と経つ今でも、学生時代の友達の中で唯一定期的に連絡を取って会っている「一生の親友」になりました。
出席番号が前後になり、共通の学会員の友達を通じて3人で繋がったこの出会いは、本当に10時間唱題の不思議な力(功徳)だと感じています。
②毎年風邪で休むのが当たり前だったのに、1年間「無遅刻・無欠席・無早退」
2つ目の功徳は、不思議と体調がものすごく良かったことです。
以前のブログでも少し書きましたが、私は子どもの頃からしょっちゅう風邪をひくという若干身体弱めの子供でした。
幼稚園や小学校低学年の頃は、ちょっと冷えるとすぐ風邪をひくので、母から「冬場はスカートや半ズボンは一切履いてはいけない」と言われ、みんなが元気に半ズボンやスカートで走り回る中、私だけ毎日長ズボンを履かされていました。(悪目立ちして嫌だったのを覚えています。しかも長ズボンを履いていても結局風邪をひいていました。)
毎年必ず風邪をひき、年に何回かは熱を出して学校を休んだり早退したりする、そして冬に風邪をひくと春まで鼻詰まりが治らない、というのが物心ついた時からの「毎年恒例・当たり前」でした。
それが、この中学1年生の1年間だけは、1回も風邪をひかず、具合が悪くなることもなく、無遅刻・無欠席・無早退の「完全皆勤賞」だったのです。
小学校6年間でも皆勤の年はなかったですし、中学2・3年もありませんでした。「あれ、そういえばこの1年、全然風邪をひかなかったし学校も休まなかったな」と後から振り返って気づいたのですが、これも題目の功徳と実感しています。
③ 「100の努力が300の結果になる」奇跡の成績
3つ目は、勉強に関する功徳です。
中学に入って最初の1学期の中間テスト(国・数・英の3教科合計)で、学年(約100人)で5位、女子の中で1位という成績を取りました。さらに1学期の期末テストの3教科合計では、学年で3位、女子でまた1位を取ったのです。
結果をもらった時は、「先生の採点ミスかミスプリントなんじゃないか?」と思ったくらい驚きでした。
というのも、小学校の頃の私の成績は「普通の中の普通」だったからです。
通知表(5段階評価)は「3」がほとんど、たまーに「4」があるかな、1回だけ「5」を取ったかな、というレベル感でした。
勉強好きで中学時代の英語と数学は5しかとったことがないという母の基準からすると、私は「本当に勉強しない子」に見えていたようで、よくそう言われていたので私自身も「自分は勉強嫌いなんだ。成績もあまりよくはない。」と思っていました。
今冷静に振り返ると、学校の授業は真面目に聞いていたし、宿題も(たまに手を抜いたりサボりたくなったりしつつも)そこそこちゃんとこなしていたので、客観的に見れば「ごくごく普通の生徒」だったと思います。
自主学習があまり好きではないとはいえ、とんでもなく低い点数を取ったり、授業についていけなくなるのはさすがに困ると思い、1学期の中間・期末テストの時は、自分なりにちゃんと頑張ってテスト勉強をしました。
とはいえ、「自分なりにそこそこ頑張った」程度の努力は小学校の頃もしていましたが、すごくいい成績がとれたことはそれまで1度もありません。
普通は「100の努力」をしても、結果が「50」くらいしか出ないこともザラにあると思います。
でも、10時間唱題をしていたこの時は、授業を聞く集中力やテスト勉強の集中力が上がっていたのか、たまたまテストに出る重要なポイントを効率よく勉強できていたのか、「100の努力がそのまま100、いや300くらいの結果として出る」という不思議な感覚がありました。
なぜ、時計ばかり見ていた私にこれほどの功徳があったのか?
よく、「題目は量じゃない、漫然と長く祈ってても叶わない」「真剣に祈るから叶う」とか「題目だけじゃダメなんだ(特に勉強なんかは、ただ『成績を良くしてください』と祈るだけじゃダメで、努力が大事)」と聞きます。
「早く終わらないかな」と時計ばかり見て、雑念だらけだった私の題目。
なぜそんな状態だったのに、こんなにも功徳が次々と現れたのか。大人になった今、自分なりに振り返ってみると「3つの理由」があったんじゃないかなと思っています。
理由①:母と祖母の真剣な祈り
1つ目は、隣で一緒に10時間唱題をしてくれていた母と祖母の祈りが真剣であったことです。
母も祖母も毎回、真剣に題目をあげていました。その祈りの中には、自分の娘・孫である私のことが常に入っていたのではと思います。
いま私も親になり、娘のことを祈らない日はありません。
そう考えると、当時の母と祖母も、私が「題目の素晴らしさ、仏法の素晴らしさがわかるように」「絶対的な幸福の人生を歩めるように」と、真剣に祈ってくれていたと感じます。
自分の題目は雑念だらけでも、母と祖母の真剣な祈りに強く後押ししてもらっていたことが、まずすごく大きかったのではと思います。
理由②:半分雑念でも10時間やれば「5時間は真剣な唱題」になる
2つ目は、「絶対的な量の力」です。
私の記憶には「早く終わらないかな、まだこれしか経ってないな」という雑念の印象が強く残っていますが、考えてみればトータルで「10時間」もご本尊様の前に座って題目をあげているわけです。
仮に10時間のうち半分が雑念で、半分が真剣だったとしたら、「5時間も真剣に題目をあげた」ことになります。もう少し少なく見積もって、仮に3割くらいしか真剣にあげていなかったとしても、「3時間も真剣な題目をあげた」ことに。
1日で3時間や5時間も真剣に題目をあげるって、普通に考えたらすごいことではないでしょうか。
「きっちり10時間すべてを真剣に」とはいきませんでしたが、10時間という圧倒的な時間を座っていたからこそ、結果的に「真剣にあげていた時間」も相当なボリュームになっていたんじゃないかと思います。
理由③:子どもならではの「単純に信じる心」があったから
そして3つ目は、子どもだったからこそ「本当に単純に、題目の力を信じていた」ということです。
始めるきっかけこそ「勉強しないで受かるかも」「10時間もやれば、なんかすごいいいことあるかも」というあまり真面目でない動機でしたが、裏を返せば「題目はすごいんだ」「祈ればきっと叶うんだ」と、疑うことなく単純に信じていたんですよね。
「純粋」というのとはちょっと違う、子どもならではの「単純さ」だったかもしれませんが、大人になるとどうしても「こんなこと祈っても無理だろうな。魔法じゃないんだから」と自分で勝手に限界を決めてしまいがちです。
でも当時の私は、ただ単純に「題目の力を信じて祈っていた」。
この「信じる心」も、実はすごく大きかったのではと考えています。
1年でやめた理由と、やめた後どうなったか
これだけすごい功徳を受けておきながら、私は中学1年の終わり頃(約1年続けたところ)で、毎月の10時間唱題をやめてしまいました。
普段の勤行・唱題も、言われた時や気が向いた時だけやる、という感じだったと記憶しています。
なぜやめたのかというと、理由はとてもシンプルで、「きつかったから」です。
毎月1回とはいえ、日曜日の丸1日が潰れてしまう。
とくに深刻な悩みがあるわけでもない中学生、休日は朝ゆっくり寝てたいし、漫画も読みたいし、遊びにも行きたい。
それに、当時の未熟な子どもの感覚としては、「こんな大変な思いをして10時間もやってるんだから、もっと魔法みたいな、想像を絶するとんでもない効果があるはずだ」と思っていたのに、「なんか思ったほどじゃないな」なんて思ってしまったのです(大して真剣に祈ってもいなかったくせに、本当におこがましい話ですよね……)。
それで母に「もうきついからやめたい」と話すと、母も「はいよ」とすんなり受け入れてくれて、10時間唱題は終了しました。(実際に「はいよ」とは言っていないがそんな感じでわりとあっさりしていた)
そして、10時間唱題をやめた中学2年生・3年生はどうなったかというと……。
見事なまでに「普通の生活」に戻りました。
- あれだけ仲良かったAちゃんとBちゃんとは、2年生で二人とも違うクラスになり、1年生の頃のような「毎日が爆発的に楽しい!」という状態から「まあ、別につまらなくはないけど普通かな」という日常に。
- 成績も、見事に「普通」に戻りました。
- 体調も、また普通に風邪をひいて学校を休むようになりました。
本当に、魔法が解けたみたいにきっちり元通りになったのです。
当時の私も、「やっぱり中1の頃がめちゃくちゃ楽しかったのは、10時間唱題のおかげだったのかな。2年生になってちょっと楽しくなくなったな」とは薄々気づいていました。
でも、「だからといって、また毎月10時間やるのはきついしな……。まあ、今もこれはこれでそこそこ楽しい毎日だから、いいか」と妥協して、そのまま中2・中3を過ごしました。
まとめ:今振り返って気づく「魔法のような功徳はあった」
当時子どもだった私は、「なんか思ったほど効果はないな、やっぱりそんな魔法みたいなことはないな。」と思ってやめてしまいました。
しかし、こうして今振り返って思い出してみると、「じゅうぶん魔法のような功徳が出ていた」と、このブログを書いていて改めて思いました。
1年間、毎日のように気の合う友達と大爆笑して、毎日学校に行くのが楽しくてしょうがない。 しかも風邪もひかず超健康。
この「毎日が楽しくてしょうがない」ということは、仏法でいう「絶対的幸福」の境涯にとても近い、気の合う友達と毎日楽しく過ごせることっていうのは、本当に幸せなことだったと感じています。
そして、この中1の時に体感した「10時間唱題の確かな効果」の記憶が、数年後の高校時代、クラスに全く馴染めず「どうしても学校に行きたくない」とどん底まで悩み苦しんだ時に、私を救うことになります。
次回からは、その高校時代に苦しみの中で自ら決意して挑戦した「自分流・2日で12時間唱題」のお話について書いていきたいと思います!
ではでは、また(^^)/

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