2学期の娘の不登校の様子について書きたいと思います。夏休み明けの9月1日から12月までの記録です。
9月:期待と現実のギャップ
夏休み中の学童は、最初は泣いて行けなかったのが8月の後半にはすっかり慣れて泣かずに楽しそうに行けていましたので、このままいい流れに乗って2学期は普通に学校に通えるようになるのではと楽観的に考えていました。
学童の時は泣いていても家に帰さずにそのまま預けていたら慣れていきましたし、保育園の時もそうでした。娘は5歳の時に引っ越しで転園したのですが、その時も最初は朝に大泣きしましたが、2週間ほどですっかり慣れて笑顔で通えるようになっています。
その学童と保育園の経験から、学校もしばらくは泣いて嫌がっていても、毎日連れて行けば慣れるのではと私は考えていました。
いずれ慣れて笑顔になることを信じて、本人がどんなに泣いて嫌がろうが、「学校に行きたくない」と言おうが、とにかく毎日学校へ連れて行き、泣いている娘を学校に置いてくるということを続けていました。
担任の先生にもその方針(泣いていてもしばらくは連続で登校させ慣れることを期待する)を説明して、しばらくはご迷惑をおかけするかもしれないということを話してご理解と了承を得ていました。
しかし学校は学童や保育園の時とは違い、なかなか状況は変わりません。
毎日泣いて嫌がる日々が続きました。
朝の準備をしなかったり、教室の前でバイバイするのを嫌がったり、教室まで行っても下駄箱まで追いかけてきてしまったりの日々が続きます。
日によっては先生や友達の助けで教室に入れることもありましたが、基本的には登校を嫌がり、泣いていました。
学校に行けた日でも、途中で「帰りたいと言っている」と先生からの連絡で私が迎えに行く日もありました。
ただ不思議なことに、運動会や校外学習といったイベントごとには行きたがるのです。運動会の日は普通に学校へ行き、楽しそうに最初から最後まで参加していました。
2学期には大型動物園への校外学習もありましたが、これも「行きたい」と言うので、バスで遠くへ行くことに不安はありつつも行かせました。すると、心配をよそに、お友達や先生と楽しんできたようです。

寂しいから学校へ行きたくなかったんじゃないんかーーーい。
学校へ行きたくない理由として最もあげていたのは「パパママと離れるのがさみしい」だったのですが、バスに1時間以上も乗って遠く離れる校外学習には嬉々として参加する娘に、心の中で思わず突っ込んでいました。
そもそも保育園では小学校より長い時間親と離れていたわけで、親と離れるのがさみしいというのは部分的にあるかもしれないけどメインの理由ではない気がしていました。(不登校になった理由は、学校へ行けるようになったあとに聞いた時も「よくわからない」とこたえます。)
10月の状況
9月はほとんどそのような状況が続き、10月に入っても一進一退でした。
下記は、私が実際につけていた毎日の登校時の娘の様子です。
(×:学校を休んだ日、△:無理やり登校させた日、〇:なんとか学校へ行って一日過ごした、◎:泣かずに学校へ行って一日過ごした)
- △10月2日(月): 家を出る時は元気。学校についてグズグズで無理やり置いてきた。体育時間は先生にべったりだったらしい。
- △10月3日(火):昨日とほぼ一緒。昨日今日と2時間目まで教室に入らなかったらしい。
- 〇10月4日(水):(朝送るとき)泣きながらも追いかけては来ず、ちゃんと教室の前で頑張ってバイバイした。
- ◎10月5日(木):運動会。泣かずにバイバイできた!。
- ◎10月6日(金):ちょっと曇った顔したが泣かずにバイバイできた。(学校ついた時の)準備終わるまで見守って教室でバイバイ。
- ×10月10日(火):「眠い、休みたい」と言うので休ませた。
- ◎10月11日(水):泣きそうになりながらも教室ついてすぐにバイバイできた。
- ◎10月12日(木):少し笑顔でバイバイできた。
- ◎10月13日(金):泣かずにバイバイできた。
- △10月16日(月):ギャン泣き。1時間目始まるくらいまで泣いて4時間目終わるまで教室の外で授業を受けていたらしい。
- ×10月17日(火):今日は学校へ行きたくないというので休ませた。明日は必ず行くという約束。
- △10月18日(水):教室の前まで行くも「帰りたい」とギャン泣き。先生の説得で少し落ち着いたので帰らなかった。
- ×10月19日(木):教室まではご機嫌だったがバイバイで泣いて帰ると言い出した。迎えに行ったら帰りたくないといわれる。
- ◎10月20日(金):校外学習。ご機嫌で7時に登校。学校玄関でバイバイできた。
- △10月23日(月):寂しいと言って泣きながら追いかけてきたが下駄箱前においてきた。
- ×10月24日(火):学校行くか家で勉強するかどっちがいいか聞いたら家がいいというので休ませた。
- ×10月25日(水):学校へは行ったが、準備が終わった時点で帰りたいとなり帰った。
- ×10月26日(木):家で勉強したいというので休ませた。
- ×10月27日(金):学校へ無理に行かせることをやめた結果、この日以降は完全に不登校。
迷いと夫婦の意見対立
9月の上旬は、「無理にでも連れて行けば慣れる」と信じていました。
学童や保育園での成功体験があったからです。
しかし、2週間、3週間、1ヶ月経っても状況は変わらず、毎日のように大泣きする娘を見るのは胸を締め付けられる思いでした。
「これ以上、娘に精神的な負担をかけ続けるのは良くないのではないか?」
「娘の心が壊れてしまう前に、一度休ませた方がいいのではないか?」
と、私は思い始めていました。1ヶ月経っても慣れないなら、もうこのやり方は無理なのではないかと。
一方夫は「ここで甘やかさない方がいい。行けるようになるまで粘り強く連れて行った方がいい。」という考えで、私とは真逆でした。
異物混入事件
そんな10月頃、娘が学校に持っていく水筒の中にボタンやティッシュの破片、セロハンテープの破片といった異物が入れられるという事件が発生。先生にも相談し、細心の注意をしていても何度か続いていました。
本人は「いつの間にか入れられていた」と言っていましたが、状況をよく考えると本人が入れた可能性が高いように思えたのでしつこく聞くと、自分でやったと認めました。
少し誘導尋問のようになってしまったので、本当に本人がやったのかは怪しい部分もありますが、本人が入れた可能性が高い状況でした。
この出来事があって、夫と再度じっくり話し合いました。
「学校に無理に行かせようとしたことが原因で、娘は精神的に不安定になっているのではないか?」
「このままでは娘の心が壊れてしまうかもしれない」。
私たちが一番願うのは、娘が幸せに、毎日楽しく過ごしてくれることです。
それを再確認し、
「そのためには、一度立ち止まって、無理に学校へ行かせるのはやめた方がいいのではないか」
という結論で一致しました。
11月・12月:完全不登校へ
そして、10月の下旬からは、もう学校に無理に行かせることはやめました。結果的に、10月の3週目からは全く学校へ行っていません。
11月は、公園探検という学校のイベントがあった日だけ一応学校へ一緒に行きましたが、やっぱり無理ということでそのまま家へ帰ってきました。
12月もすべて休みました。これが、2学期の状況です。
当時の心境と祈っていたこと
この時期はどうしていいのか、何が正解なのか全く分からず一番迷いの闇の中にいたときでした。
最初は「学校に慣れさせることが正解だ」と信じていましたが、全くうまくいかず状況は悪くなるばかり。かといって、「学校を休ませることが正解だ」という自信もなく、「これが常態化して、このまま一生学校に行かなかったらどうしよう」という不安がありました。
娘がどうなるのか、どうしたいのかも分からない。学校に行きたくない理由もいまいちはっきりしない。娘自身も「行きたい気持ちもあるし、行きたくない気持ちもある。よくわからない。」と言います。
どうすればいいのか分からず、ただただ祈っていました。「学校へ行けるようになることが娘の幸せなのか、他に道があるのか、それがどんな道なのかわかりません。とにかくいい方向に向かうように、解決の方向に向かうように、娘の幸せに向かうように。」と。
祈れるということは、本当にありがたかったです。「題目」があるからこそ一筋の光があり、もしこれがなかったら、もっと絶望していたと思います。ある意味、絶望的な気持ちにはなっていたのですが、その中に「題目をあげれていれば大丈夫」という一筋の光があるのとないのとでは大違いでした。
とはいいつつ、常に「題目を上げているから絶対大丈夫」と強く確信していたわけではありません。「どうしましょう、ご本尊様マジで何とかしてください」ともがきながらも、題目をあげることで、「何とかなるかもしれない」という気持ちと、「いや、やっぱり無理かもしれない」という気持ちの間で揺れ動きながらも、不安と希望を行ったり来たりしながら、なんとか心を保つことができました。
苦しい状況の中で、私自身の精神がぶっ壊れなかったのも題目があったおかげと実感しています。ほんの少しの差で、題目がなかったら私自身も精神的に追い詰められてダウンしていた可能性が高いのではと思います。
まとめ
2学期は、最初は「学校へ行けるようになるかも」という期待に始まり、後半は完全不登校という、予想外の結末を迎えました。
何が正解か、どこへ向かえばいいのか全く分からず、迷いと不安の中にいた最も苦しい時期でした。水筒事件を経て、娘の心を守るために無理強いをやめる決断をしましたが、その決断は新たな不安を生みます。「このまま中学、高校まで学校へ行けなかったら?」「そのまま一生引きこもりになってしまったらどうしよう…」そんな最悪のシナリオが頭をよぎり、不安に襲われることもありました。 題目という一筋の光を支えに、暗闇の中で娘にとっての最善を模索し続けた2学期の記録です。