こんにちは、シマリスです。
「楽観主義で行こう!」「楽観主義がいい!」 頭ではそうわかっているのに、どうしても悲観的に考えてしまいます。
先日のYouTubeライブで、岡本議員がいさ進一議員に、「楽観主義で行きましょう!」と明るく励ましの呼びかけをしているのを見ました。
岡本さんも、いささんも、大変な状況のはずなのにいつも明るいです。
本当に楽観主義の方は素晴らしいな、見ているだけで元気をもらえるなと、つくづく思います。
一方で私はというと……現在起きている悩みはもちろんあるのですが、それ以上に「まだ起こっていない未来」のことをどんどん想像してしまって、「こうなったらどうしよう」「ああなるんじゃないか」と思考が止まらなくなります。
自分で作り出したまだ起こってもいない未来に対して勝手に恐怖に陥っている。
そんなことが本当にしょっちゅうなのです。
でも、昨日10時間唱題をやって題目をあげながら、少しだけ見方が変わってきました。
悲観的だからこそ、真剣に題目をあげられる
「なんで私はこんなにも悲観的なんだろう」と悶々としながら題目をあげていた時のこと。
ふと、「この悲観主義というか、悲観的な考えがあるからこそ、これだけ真剣に長時間御本尊様に向かって題目をあげられているんじゃないか」と思い至りました。
そう考えると、悲観的な自分も案外悪くないのかも?
せっかくなら、この悲観的な考えを全部出し尽くしてやろう!
もうこの悲観的思考がなくなるまで祈り抜いてやればいいじゃないか。
自分が作り出す恐怖を全部出し尽くすまで祈り続ければいい。祈り続けるしかない。いつまでも恐怖が出続けるなら出続けてる間いつまでも祈り続ければいい。祈って悪いことはない、というか祈っていいことしかないのだから。もう題目確変チャンスや。そう思えるようになってきました。
楽観主義なあの人も、きっと同じ道を通ってきた
そんないろいろなことを考えながら題目をあげているうちに、もう一つ気づいたことがあります。
今、楽観主義でとても明るく前向きに頑張っていらっしゃる方たち。
いさ進一議員とか、岡本議員とか、斎藤てつお議員とか、いつも明るい地域の学会の皆さん。
そういう方たちも、もしかしたら瞬間的には悲観的な感情に襲われることがあって、でもその度に題目で乗り越えてきたのではないか。
それを何度も何度も何度も繰り返していくうちに、結果としてああいう「明るく強い楽観主義の勇者」になっているのかもしれないな、と。
生まれつき強くて、生まれつき楽観主義で、生まれつき「仏」みたいな人なんて、たぶんいない。
みんな、悲観や恐怖と戦いながら、題目をあげて乗り越えてきたから強くなって楽観主義者になれたんじゃないか。
私が今通っている道は、みんなが通ってきた道なんだ、と思えました。
悲観主義を「題目の薪」にして燃やし尽くす!
「なんで私は悲観主義なんだろう」と悩み続けていても仕方ありません。
せっかくなので、このあふれ出る悲観的な感情や不安、恐怖を、しっかり題目をあげるための「薪(まき)」にしていきたいと思います。
どんどん不安が出てきたら、「はい薪入荷しました!題目の火で燃やしまぁす!」くらいの勢いで題目をあげていきたいです。
題目あげてたら、なんかちょっと楽観主義者っぽくなれてきた気がします。
それでは、今日もこれから題目あげてきます!薪燃やしてきます! 全国の悲観主義の皆さんもぜひご一緒に、薪燃やしちゃいましょう!!
ではでは、また(^^)/
